自分自身の備忘録として妻の治療暦を記す。
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2002年
春 町会の集団検診での血液検査で異常を発見。
市内の大きな病院で診て貰う。CTで卵巣が少し腫れているとの所見。
11月 入院
開腹手術で卵巣ではなく虫垂の破裂発見,除去。
12月 退 院
2003年 01月 CT検査
02月 入院
リザーバーの埋め込みと,抗癌剤の直接散布。入院治療。
05月 退 院
2004年
01月 入院
抗癌剤治療。
04月 退 院
05月 大学病院の腫瘍内科へ
06月 大学病院へ
07月 フランスの聖地ルルドへ奇跡を求めて出発
08月 フランスより帰宅
09月 手術(リザーバーを抜く)
10月 東京へ
10月 東京より帰宅
11月 (このころより、腹部膨満のため歩行はようやく)
2005年
03月 入 院
大網中心に腫瘍除去手術。抗癌剤治療。
04月 退 院
06月 免疫を高める治療(札幌)
06月 全身温熱療法のため東京へ
08月 東京より帰る
08月 玉川温泉へ
(3月の手術でお腹は少し軽くなるが、再度の腹部膨満で歩行はようやく)
玉川温泉より帰る
08月 免疫を高める治療(札幌)
08月 入 院
08月 腎漏の手術
09月 手術予定が高熱のため延期
09月 手術予定が緑膿菌感染のため延期
09月 静脈中にフィルターを入れる手術後、腫瘍を取る手術(粘液2lのみ)
11月 退 院
11月 緊 急 入 院(腸閉塞) 薬投与 従姉妹(M)帰天
12月 退 院
12月 鍼灸師に診てもらう(東京)
(空港間の移動では全て車椅子使用、都内の移動は全てタクシー)
2006年
01月 鍼灸治療を続ける
02月 東京より帰宅
02月 病院で診察
02月 鍼灸治療のため東京へ
03月 東京より帰宅
(通院には、こんな事もあろうかと購入しておいた福祉車両が活躍)
03月 病院で診察 (駐車場から病院内は全て車椅子使用)
03月 病院で診察
03月 病院で診察
03月 病院で診察(消化器科・心臓外科)
03月 病院で診察(泌尿器科)
03月 病院で診察
04月 病院で診察(外科)
04月 入 院
04月 腫瘍除去手術(腫瘍と粘液少し取れた)
04月 退 院
05月 入 院
05月 退 院
08月 入 院(体調悪く予定を早めた)
08月 腹膜も除去する大規模な手術(外部からの医師により)輸血5000cc
ICUの部屋で看護受ける
08月 自分の個室に戻る
(ジュースは許可される。胃漏をしているので固形物でなければOK)
08月 (一時は食事を摂ってみたが無理と分かり、腸の穴が塞がるのを待つ事に。生命
維持は点滴で)
09月 (大変にやつれ、声はかさかさで、話すのもようやくである。胸が締め付けられて苦し
いとの事。)
09月 (このころより毎日2度高熱が出る。熱が高いと苦しく、下がると空腹感に責められる
との事。)
(沢山のバッグ類がついたポールを押しながら何とか自力でトイレへ行く)
09月 (キャラメルの許可が出てよろこぶ。苦痛が少ない時は読書に勤しみ毎日文庫本1 冊読破、英字新聞も)
10月 (腸の穴以外に腫瘍が腸の他の部分を圧迫している事が分かり、退院は絶望的と なる)
12月 (次第に増えてゆく痛みを抑えるためモルヒネの点滴を始める。ほとんど本を読ま なくなる)
12月 (看護師詰め所に近い個室に移る)
12月 (自力でトイレに行く事も困難となり尿カテーテルをつける。ベッドから一歩も出られ ない。モルヒネ増量する)
(うんうん言いながら、半眼に閉じている事が多くなった。大きな声を掛けた時のみ 焦点を合わせる)
12月 (輸血をする)
12月 (再度病者の秘蹟を受ける。肉親達へまだ意識がある内にお別れに来るように連
絡)
12月31日 (息子の妻、娘の夫が来たのでかなり気張ったようである。居た1時間強の間意
識はしっかりしていた。 最後のお別れと自覚 していたのだろう。)
2007年
01月04日 午後3時04分 妻帰天
01月05日 納棺
01月06日 教会で告別式
01月07日 火葬する
これ以外に3ヶ月以上試した健康食品、治療
キチン・キトサン フコイダン プロポリス 正源 AHCC 丸山ワクチン カバのアナタケ 爪
もみ療法
整体 十字式健康法
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