妻と過ごした最期の日々 (死にゆく妻との日々)














        

 

まえがき  (房子の追悼、追憶、そして鎮魂のために)

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 約5年前、妻に病が発見されました。それ以来、何とかこれを治療して少しでも
長生きできないものかと二人三脚でいろいろな治療法にチャレンジしてまいりま
した。病名が分かった当初から、これが治療困難(不可能)な病であることは分か
っていたのですが、手をこまねいている事は出来ませんでした。 いつも希望を
持っていなければ生きてゆく勇気に繋がらなかったからです。


 しかし、戦いもこれまでとなりました。妻は今ベッドの上から一歩も外へ出る
ことが出来なくなってしまいました。歩くことが大変好きで10Kmくらいの散歩は
頻繁にしていた妻にとっては大変につらい日々となりました。寝たきりになって
からも若いDr達に冗談を言っていたのに、今ではモルヒネのせいもあり、意識が
朦朧として、話しかけても焦点が定まらぬ目つきで、返答もようやくです。

 
 治療困難な病であることは告知してあり、葬儀での写真や音楽の事、目下の希
望はこの苦痛から一刻も早く脱して天国でおばあちゃん達に会う事、など率直に
語り合ってきましたが、なんとも無念な毎日です。 

温厚で教養があり誰からも敬愛された妻は、幾度にも渡る手術でぼろぼろとな
り、精神的にも疲れきっていて、本当にかわいそうな状態です。

                       
 昨日私は、妻の尊厳を回復すべく、6年前に写した、知的な輝きに満ちた瞳が印
象的な、美しかった頃の写真を枕元に飾りました。Drや看護師さん看護助士さん
達が見たならきっと見直してくれるでしょう。

対比があまりにも大きいので、中には人生のはかなさを自覚される方もいらっし
ゃるかもしれません。

妻に残された日々が僅かな事を知った時から、私は日記を書き始めましたが、そ
れはいつの間にか詩に変わる事もありました。胸にこみ上げる想いを率直に伝え
るには詩の形式が適当なのかもしれません。

 私はこの日記から詩の部分を取り出して、ホームページとして皆さんに読んで
いただこうと思っています。それが妻の鎮魂に繋がるような気がするのです。私
がしてあげられる最後のプレゼントになるでしょう。また、この様な目標を持つ
と、書き続けるよう自分を鼓舞する事も出来ます。



                           2006年12月1
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以前にこの詩集をWEB上にアップしてから、はや10年になろうとしています。

アップしてから数年後、プロバイダーの変更や、HPの不調もあり、しばらくは停
止していました。

しかし、そろそろ10年を迎えるにあたり、体裁を一新して再度アップしようと
決意しました。そして、再度自分の詩にむかいあってみますと、この数年殆ど妻
の痛みや苦しみにきちんと向かい合っていなかった事に気づきました。読み直す
ことは確かに辛い事なのですが、その辛さを我慢してでも時々は思い出してあげ
るのが夫としての勤めであったと深く反省した次第です。

この10年、沢山の死者を生み出した、震災やテロなどが続きましたが、その中
で思うようになった事は、大きな痛みや苦しみの中で旅立った死者と繋がる唯一
の手段はそれを思いやって、「同情」をよせる事だということです。

これを読んで下さった誰かが、一瞬でも妻の苦痛や精神的な辛さに同情を寄せて
下さったなら、それはきっと妻への大きな慰めになるだろうと思います。 

 


                           2016年7月2日
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                                          小 
原 雅 夫




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